#02

(MOUNTAIN)

PRODUCT

曖昧な境界線で、山と服を楽しむ。

小林節正
(マウンテンリサーチ代表)
「山のスペックを街着に落とし込む」。いまでこそ当たり前のそんな感覚を、いち早く発信してきた〈マウンテンリサーチ〉。同ブランドの代表を務める小林節正さんは、いかにしてその感覚へたどりつき、現在はどう自然と向き合っているのか。東京からクルマで3時間ほどの“山の拠点”であるプライベートキャンプ場で、たっぷりと話を聞いた。
山の暮らし=ブランドのプレゼンテーション。

〈マウンテンリサーチ〉の小林節正さんが山の暮らしを実践する長野の山間にある“場所”。普段は東京で忙しく働きながらも、時折訪れては毎回1週間ほど、ここで時間を過ごしている。完成したのは2007年だった。

「〈マウンテンリサーチ〉でやろうとしたことは、登山のためのレイヤードとかじゃなかったんだよね。週末に都会から離れて、林の中にイスとか持っていって、ゆっくり酒飲んで帰ってくる。そんなときにあったらいいものを作りたかった。要は、山の中だけど、スウェットと軍パンでいいわけで。でも、格好としてはすごく曖昧じゃん。それをわかってもらうために何が必要かっていうと、山の暮らしだったんだよ。自分たちで、こういう場所でごちゃごちゃやってることを発信したら、その曖昧さも伝わっていくと思ってね」

毎週末、土地探しの旅を繰り返してようやく見つけたこの場所は、キッチンや寝室が置かれている大きなウッドデッキを中心に敷地が広がり、野生の動物の侵入を防護する金網フェンスの奥は急峻な山。隣家も遠い。生えている木々は白樺やカラマツで、もちろん眺望は抜群にいい。標高は1460メートルで、下界とは空気の透き通り方が違う。そして、冬は東京とは比べものにならないくらい寒く、マイナス20度に迫るときもある。

年代やディテール違いで、何着も所有しているという〈エディー・バウアー〉のダウンベスト。

「そんな環境の中だから、ダウンの性能をチェックするのも面白いし、さっき言った曖昧な格好で山に来て冬を過ごすのに、一体どういうものが適切なのかがわかるようになる。例えば、東京でいつも着ている洋服の上にアメリカ海軍のオーバーパンツを穿いたらいけるぞ、とかね。そうやって、古着混成で色々と考えてって、登山家でもない自分たちが、山で暮らすスタイルっていうのを探していくっていうストーリーを時間をかけながらやりたかったんだよね」

完成した当時から少しづつ改良を重ね、今年は母屋に窓ガラスも取り付けて、室内からも最高の眺めを味わえる。ちなみに、ここに住み始めてからの16年間、燃料費は0。すべて自分で切って、乾かした薪を使い続けてる。

服と山のルーツは幼少期。

1961年に、婦人靴のデザイナーだった親の元に浅草で生まれた小林さんだが、山との出会いは意外にも早い。

「子供の頃は高度成長期で世の中が忙しかったから、親も俺が家にいたら、わぁわぁとやかましくするからめんどくさいわけ。だから夏休みと冬休みは、終業式が終わったらそのまま東京駅に連れていかれて、ひとりで新幹線に乗せられて、愛知に住むおばあちゃんのところに送り込まれてたんだ、幼稚園のときからね(笑)。おばあちゃんの旦那さん、つまりおじいちゃんが鉄砲打ちで、厳密には猟師ってわけじゃなかったんだけど、山の中にはしょっちゅう出かけるから、それに俺も一緒についていってっていうのが、自分にとっての山の原体験」

山奥にある飯場を拠点に、休みの間はずっと森の中。大人が誰もいないときは、ひとりで山のなかを探索することも。そのなかで、わからないながらも山の感覚を自然と吸収していった。

服に目覚めたのも同じ頃で、小学校から〈VAN〉を着こなし、ファッション界に多くの影響を与える『TAKE IVY』も熟読していた。

「『Made in U.S.A catalog』が出てくるのが中学校2年生のとき。前段として『Men's Club』とかも見まくってたけど、『TAKE IVY』は、もう、抜群にかっこよかったよね。うちの家業は婦人靴で、イタリアンパンプスしか作ってなかったから、今思うとその反動みたいなのもあって、アメリカンなごっつい感じに、余計憧れてたんだと思う」

高校まで進むと、『POPEYE』でロンドンのパンクやロックを知り、遠い異国のカルチャーで頭がいっぱいになってきた。紙の上で見ていた世界観を、実際に目で見て確認したくなり、高校を卒業するとすぐに、海を渡ることに。

「ロンドンとか、ロサンゼルスに行きたくて、親父にそんな話をしたんだけど『そんな金がどこにあるんだよ』って言われてね(笑)。じゃあ、靴の修行で本場イタリアに行きたいって言えばどうにかなるかも……、と考え直して『イタリアに靴の修行へ行きたいです』って話してみたんだ。そしたら、自分でチケット代を貯められるんだったら1年分の仕送りをしてやるって言ってもらえたものだから、八方尾根の旅館のバイトやったりして、せっせとお金を貯めたよ。渡航費が当時最安値のアエロフロートで、18万だったかなぁ……70年代の話だけどね、いまの金額にするとかなり高いと思うよ」

影響を受けた師匠たち。

イタリアから帰国して以降、小林さんはいつも、そのときそのときで自分よりひとまわり年上の師匠を見つけていくのが習慣になった。学生運動が盛んだった時代を生きてきた諸先輩方は、小林さんの言葉を借りれば「ざらっとしてる時代の価値観」を持っている人だった。

「そういった人たちの周りをいつもウロチョロしててさ、少々めんどくさがられようが、晩飯だけはきっちり食わしてもらうみたいなことを長らくやってると(笑)、そのうち受け入れてもらえたりするんだよ。そうなれば占めたもので、こっちにも一生懸命伝えようとして話してくれるからさ。話もいちいちおもしろいし勉強になるんだよね」

師匠たちは何人もいるのだけど、ファッションのことで言えば、写真家の小暮徹さんから受けた影響ははかりしれない。小林さんは回想する。

「80年に修行先のイタリアから戻ってきて、そこから小暮さんのところで書生みたいなことをやってたんだけど、あるときから小暮さんのクローゼットに勝手に入ってもいいってことになったのね。あの頃の小暮さんは既製服を全然着ない人だったから、クローゼットの中は全部が全部、海外で買ってきた民族服とか軍モノ……、それもアメリカとかわかりやすいとこじゃなくて、とんでもなく珍しい国の軍モノだったんだよね。サングラスは50'sのものばっかりだったし。要するに、超ミクスチャーの世界を見せられたわけ。小暮さんがいないときに、そういった摩訶不思議な洋服を全部チェックさせてもらって、勝手に着てみたりしながら、妙ちくりんなディティールをポラロイドでバシャバシャ映してはメモ代わりにしてた。たぶんそれが〈ジェネラルリサーチ〉を始められた原動力だと思う。これまで見てきたものと違う服を、本当に山ほど見せてもらえたからね」

ファッションが小暮さんであれば、山の暮らしに関して影響を受けたのは、作家の田渕義雄さんだった。2020年に氏が亡くなるまで、その交友は続いていた。

「冒頭で話させてもらったように、山で暮らすための曖昧な服が作りたいと思ったら、まずは山の雑誌を見るわけなんだけど……、どこを見ても固い話しかでてこないんだよね。こっちが欲っしていたのは玄関のど正面の話じゃなくて、裏口の話だったんだけどね……。そんな話が全然見当たらなくて、いよいよ山を取り巻く環境が嫌だなと思い始めたときに(苦笑)、『スペクテイター』の青野(利光氏)が、これ読んでみてくださいって田渕さんの『バックパッキング教書』を託してくれた。田渕さんの章を読んだときに、コレコレ!ってなったよね(笑)。これが田渕さんの文章との出会いだったんだけど、この親父の話だから面白いに決まってると思って、田渕さんの著作を買えるだけ買って、夢中になって読んだよ」

小林さんが山に拠点を作って3年ほどが経ったとき、田渕さんが突然遊びにきてくれたという。それを機にチェーンソーの研ぎ方を習ったり、野で積んだタンポポでオムレツするとおいしいなど、山暮らしのいろんな知識を学んでいった。

小林さんが最近読んでいる田渕さんの著書。アウトドアの魅力が軽快な筆致で綴られている。

「あと、あの人はとっても洒落てるの。冬、一緒に山を歩いたことがあったんだけど、田渕さんがリュックから自分で彫った白樺の皿を突然出してきてね、スプーンでその辺の雪をすくって入れてくれるんだけど、次には瓶のメープルシロップが出てくるんだよ!うんと冷たい気温の中で混ぜていくと、雪が玉になるんだけど、それがもう、やばい、めちゃうまいのよ(笑)。その次にはね、水筒からあたたかい紅茶が出てくるんだもの……。もう驚いちゃって、思わずなんだこの人⁉︎ ってなっちゃうよね(笑)」

山と服。小林さんを語る上では欠かせないふたつの要素。師匠たちのそうした感覚を混ぜていき、山で暮らすための服〈マウンテンリサーチ〉は確立していったのだ。

ブランドが線で繋がっていく。

小林さんの最近の活動で大きなトピックと言えば、2021年、全体のプロデュースを手がけたキャンプ場「水源の森 キャンプ・ランド(以下、水源の森)」がオープンしたこと。そこは、これまでの小林さんの活動の点と点が繋がる場所だった。

「この場所が〈マウンテンリサーチ〉っていうブランドのプレゼンテーションの場所としてあるからこそ、シーズンごとに洋服を作ってリリースし続けることができているわけだけど、あとは、使う側のフィールドみたいなものがあると、理路整然とするじゃない? それにあてはまるのが『水源の森』なんだよね。東京から1時間ちょっとで、買ったものをちゃちゃっと試せる場所」

山の暮らしで得たものが「水源の森」には反映されている。余白や自由、そしていい意味での適当さといった小林さんならではの要素がキャンプ場の場内随所にちゃんと散りばめられているのだ。小林さんが世界一馬鹿げた大きさと笑う自慢のヘラ絞りの焚き火台もそう。まだの方は、ぜひ一度訪ねてみてほしい。

好きな時に採って食べるという、奥様が植えた林檎の樹。サイズは小さいけど甘くて美味しい。

小林さんの物事に対する姿勢や考え方は、業界問わず、多くの人たちに影響を与えてきた。山との接し方も、曖昧だけど明瞭で、優しいのに刺激的だった。最後に少しだけ、この先のことを。

「 2030年あたり以降の景色は、ぶっちゃけちょっとわかんない。自分の体力のこともあるしね。年齢的にも、壮大な話はもう計画しようがないよ。その代わり、その時なりに、自分の可動域に応じて遊ぶことを続けられるんだったら、それでいいんじゃないかな。あ! ひとつだけ決めてることがあった。もう少ししたら、1ヶ月のうち二週間くらいは、ここで過ごす生活にしたいとは思ってる」

Photo:Kensuke Ido
Text:Keisuke Kimura
Edit:Jun Nakada

  • PROFILE

    小林節正
    (マウンテンリサーチ代表)

    1961年生まれ。東京都出身。1994年に〈ジェネラルリサーチ〉を立ち上げる。2006年に「......リサーチ」と名称を変更し、掘り下げるテーマを明確に提示する研究(=リサーチ)活動へと転換。その中の山部門として〈マウンテンリサーチ〉を創出。2007年から山での暮らしをはじめる。2021年には自身がプロデュースしたキャンプ場「水源の森 キャンプ・ランド」がオープン。

その道の達人たちに学ぶ、外遊びを全力で楽しむための秘訣。

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